湖の紺(このこん)

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大野くんのディズニー案内

嵐時々スピリチュアル
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何かのスピリチュアル本で、今地球上にある、そしてこれからどんどん生み出される歌とか絵とかの、
芸術やアートなどと呼ばれるものすべては実はもうすでにどこか別の場所に存在しているものであり、
(この場所というのは別の次元のとか、別のずっと遠い星のとか、そういうこと)
それがただ表現者を導管にしてあらわれ出ているだけだというくだりを読んで、
どっひゃー!そんなことってあるの?とびっくりしたのだけど、今はそれがすごくわかる。

ウォルトが2日で描かせたという、ウォルトの頭の中にあったあのランドの構想図。
2日で描いた人もすごいと思ったけど、もっとすごいのはあんなに細かい部分まで鮮明にイメージでき、
かつそれを頭から引っ張りだすことのできたウォルトだと思う。
きっとあの図(後のディズニーランド)は別次元の、文明の進んだ平和で豊かな星かなにかにあるどこかなんだろうと思った。
そう、ウォルトが導管。

あれがすでにあるどこかならば、きっとそこがこれからの地球が向かっていく理想郷みたいなものだと思うし、
私たちにとってはディズニーランドこそがふるさとなのかもしれないな。
ディズニーランドには大人も子どももなく、差別も戦争も必要なく、愛と平和と緑と純粋な楽しさがある。
私はディズニーランドにもミッキーにも全く興味がなく、何というか、
あのハッピーさやファンタジーな感じに対して冷ややかだったわけだけど、
もしも実際に行くことがあればきっと楽しめると思うし、泣いてしまうかもと思う。
その美しさとなつかしさに。

ウォルトはアニメーターでもただのお金持ちでもなくて、クリエイターだったのだね。
それもかなり強固に頭の中のものを具現化することにこだわった。
妥協も失敗もなくやり遂げたのってすごいと思う。
その成功がなければ今の地球上にディズニーランドは存在せず、きっと地球人の楽しみ2割減てなとこだろう。
(2割はちとおおげさかもだけど)
でもディズニーって私たちにとっての娯楽だけでなくて、アーティストにとっての受け皿というか、
想像し創造する人の力を発揮させる場所として重要な役割を果たしてるんだと思った。

大野くんが天井か何かを指さして、「関わりたかった。ここ、塗りたかった。」なんて言ってたけど、
ウォルトはそんな風に何かを創ることに歓喜する人にとっての場所もつくりたかったのかななんて。
それはウォルト自身だから。
そして宇宙へのゲートだから。

想像や創造をすることで行けるその宇宙を私もちょっとだけ垣間見たことがある。
Michaelのことが好きで好きでもうどうしようもなくて彼の小説を書いた時。
Michaelをびんびん感じて、愛がどうしようもなくあふれて、満ち足りていて、
もうこの気持ちのまま一生生きていきたいと思ったほどだった。
持続はしない。ずっとは行けない。
でもまた行きたい、そこに。
そこに行けばMichaelにも大野くんにも会えるような気がして。
彼らの魂に触れることができるような気がして。


若冲の時にも思ったけど、絵に触れる大野くんの顔はいきいきしている。
子どもみたいでキラキラしていて眩しい。
私はそれを見て自分は何も持っていないような気になって悲しくなる。
私にも宇宙へのゲートが優しく開く日がくるのかな。


大野くんみたいな人に出会えてよかった。
彼を見ていると不思議なくらい自分が受け入れられている気持ちになる。
大野くんが私のものだったらいいのに。
そしてこんな風に笑う顔をそばで見てみたい。



なあんてね。









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